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東京地方裁判所八王子支部 昭和62年(わ)635号 判決

主文

被告人を禁錮二年六月に処する。

本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和六二年五月三一日午前八時二三分ころ、業務として普通乗用自動車(ニッサンE―PM一〇型)を運転し、東京都府中市宮町《番地省略》先道路(車道幅員約三・四メートル、両側に幅員約一メートルの路側帯設置)を東進するべく同番地所在マクドナルド店前で一時停止から再発進した際、左側から車道上に進出してきた歩行者と接触したため、とっさに右転把したところ今度は右側路側帯の街灯柱に衝突したので急ぎ左へハンドルを切り返し、この間合わせて急制動の措置をも講じようとしたが、初めて直面する一瞬の不慮の事態に狼狽し、ペダル操作を的確になすべき業務上の注意義務に反して誤ってアクセルペダルを強く踏み続けた過失により、自車を前記街灯柱から約三六メートル(直線距離)にわたって前記道路上を暴走させ、同《番地省略》所在甲野園前車止め付近に突っ込んで停止するまでの間路上の歩行者に次々と衝突させ、よって、A(当時五八歳)に対し肺臓破裂、胸骨骨折等の傷害を負わせて同日午前九時四一分ころ同都多摩市永山《番地省略》所在の乙山医科大学多摩永山病院において死亡させ、B(当時四四歳)に対し頚椎・頭蓋底・肋骨各骨折等の傷害を負わせて同日午前九時五〇分ころ同都三鷹市新川《番地省略》所在の丙川大学附属病院において死亡させたほか、C(当時四四歳)に対し加療約五か月間を要する頭部挫創、頚椎捻挫等の、D子(当時六〇歳)に対し加療約六か月間を要する骨盤骨折等のE子(当時四二歳)に対し加療約八か月間を要する全身打撲、右第六肋骨・左肩甲骨骨折等の、F(当時二四歳)に対し加療約六か月間を要する左肋骨多発骨折、左肩甲骨骨折等の各傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(補足)

一  公判廷における被告人の弁解の趣旨は「再発進のためチェンジレバーをNレンジからDに移し、ブレーキペダルの足を離して正常なクリーピングがおきたのを覚知し、次いで通常の発進時におけると同様軽くアクセルペダルを踏んだところ、大きいエンジン音と共にボンネットが跳ね上がるような勢で急発進し、折から車道に進出してきたGに接触した。とつさに右転把してブレーキを踏んだところ、右側路側帯の街路灯に衝突したので左へ転把し、その後も終始ブレーキペダルを踏み続けた。しかし制動は利かず、かえって加速がついたように暴走した。この間、ブレーキと誤ってアクセルペダルを踏んだとは思えない。」というものであり、弁護人も本件暴走は車両異常に起因すると疑われる旨主張する。

もし、右弁解が本件の暴走経過を正確に示しているのだとすると、まず、クリーピングが正常だったということだからアイドル回転調整装置には異常作動はなかったことになるものの、しかし第一に、アクセルベダルからキャブレーターにいたる機械的機構において(注・出力異常源として疑われることのある定速走行装置等の電子式出力制御装置はそもそも本車には搭載されていない。)アクセルペダルを軽く踏んだだけでスロットルバルブを全開若しくはそれに近い状態にさせるという異常が生じ、次いで第二に、ブレーキペダルを踏み続け踏み直しても制動装置が作動せず、かつ、アクセルペダルから足が離れているにも拘らずスロットルバルブが閉じない(ために減速を生じない、或は加速する)という異常、若しくは制動装置は作動したが右同様スロットルバルブが閉じない(ために減速効果が低下する)という異常が生じたと疑われることになろう。

二  所論にかんがみ証拠調をした三通りの鑑定の結果はそれぞれに前記弁解内容と重要な部分で一致しない。が、ともかくも結論的に本件暴走の主因を車両の異常に帰するのはそのうち荒居茂夫鑑定(鑑定書並びに証言。以下同じ)であって、その要旨は(1)本車両が路上に残したタイヤ痕は過大な駆動トルクによるスリップ痕でも、またカーブ走行による横滑り痕でもなく、以上消去の結果、それはブレーキが作動してロックされたタイヤのスリップ痕(制動痕)でしかありえない、そして制動痕と見ることに矛盾する客観的要素もない、(2)かく制動痕である以上、その始点における時速が最大でも四〇キロメートル足らずでしかありえないに拘らず右タイヤで約一五・六メートル左タイヤで約一〇・一メートルという長い制動痕を残した上なおかなりの速度が維持されていた理由としては、ブレーキの作動中(従って足はアクセルペダルから離れている。)もエンジン回転が続いて駆動トルクが与えられ続けるという車両異常があったからだと考えるしかない、(3)その異常はアクセルペダルからキャブレーターに至る機械的機構の復帰能力又はアイドル回転調整装置に生じた可能性が疑われる、とするにある。

三  即ち右によれば、さしあたり制動装置それ自体は正常に作動したということであり、また制動痕とされたタイヤ痕は再発進後約二五メートル走行した地点で始まっているのだから被告人の弁解中遅滞なくブレーキを踏んだとする点も斥けられる帰結になりそうだが、それにしても本鑑定が正しければ、少なくとも当初訴因がそのまま維持できないことにはなるであろう。

四  しかし第一に、本件におけるタイヤ痕の生成因が制動によるものと結論づけた消去の過程には、江守鑑定からも明らかなように明白な考慮事項の欠落(荒居鑑定が過大トルクによるスリップ痕でないとした理由は、本件車両においてはこのような長いタイヤ痕を残せるほどの駆動トルクが与えられ続けることはありえないどころかそもそも過大トルクによるスリップ痕は殆ど生じえないというにあるが、そこでは、直進の事態のみ考慮され、本件のように駆動輪である右前輪が浮き上がり気味になるカーブ走行の場合は想定されていない。)があるのであるから、右消去法によってこれを制動痕と断定するには論理としての無理がある。従って、この断定に立脚する以後の推論についても同様である。そして第二に、暴走原因を車両異常に帰する結論自体にも客観的証拠と対比して物理上合理的でないところがある。というのは、青木鑑定における車両検査(実動テストを含む。)によって本車の関係各装置に暴走原因として可能な異常は再現されず、また異常を生じた痕跡も全く認められないとされている点(ちなみに、被告人も過去本車に異常を生じたことはないと言う。)は仮に措くとしても、同鑑定並びに江守鑑定更にはH証言調書の一致して指摘するように、よしんばスロットル開閉の機械的機構に事後的には痕跡・気配を確認できないような異常(ケーブルの引っかかり等)を生じてスロットルが全開となり、そのままに保持されていたと仮定しても、ブレーキの作動によって本件のような長い暴走は生じようがなく、また、よしんばアイドル回転調整装置に事後的には痕跡・気配を確認できないような異常を生じてアイドル回転数が性能上可能な最大値(本車両の場合約一八〇〇どまり)に昇りつめていたと仮定しても、クリーピングの負荷及びブレーキ作動の負荷がかかって本件暴走のような事態は生じようがないと認められるからである(これらの仮定に加えて制動装置の不作動をも二重にかつ同時的に仮定するほどの合理的根拠はない。)。

五  暴走原因を車両異常に帰する本鑑定の証明力は低いものというべく、また、被告人の前記弁解を措信することもできない。唯一可能な暴走原因は被告人がアクセルペダルを踏み続けたことにあるとしか考えようがなく、かく考えることと矛盾する客観証拠はない。

(法令の適用)

判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で六個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重いBに対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮二年六月に処し、後記量刑の事情を考慮し同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件暴走事故によりそれぞれ家族を抱えた働きざかりの男性二名が死亡し、外に四名の重傷者が生じた。各被害者ともなんら落ち度はない。ペダル操作の誤りはともすれば重大事故に結びつく危険性の高いものである反面、その正しい操作は運転者にとって容易になし得ることであるから、この基本的で初歩的な注意義務を怠って現に重大な結果を招いた刑責はまことに重大である。

もっとも被告人の誤操作のきっかけは、過去一八年の運転歴で初めての体験に逆上狼狽したことにあり、例えば酒酔い運転や信号無視のような意図的な行為がきっかけになってのものではないという意味において、この点同情の余地なしとしない。死亡者との関係で弁償は終了したものの、負傷者との関係では示談の交渉さえまとまっていないが、これは車両欠陥の疑われた事案の性質上保険会社において裁判の成り行きを模様ながめしている点に主たる原因があるかと窺われ、いちがいに被告人に誠意がないと責める訳にもいかない。自己の運転に誤りはなく、暴走原因は車両の異常にあると思い込んだ被告人の立場としては、自己の非を認めて被害者側に頭を下げるわけにもいかず、結果として不誠実とそしられるのも痛しかゆしの思いであるだろう。いちがいに反省の念が欠けていると非難するのもあたらないかもしれない。

以上勘案してみると、被告人に実刑を科することが真に相当な措置であると言い切ることはできず、主文掲記の刑を科するもののその執行を猶予することとする。

(求刑禁錮二年六月)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田孝夫 裁判官 髙橋勝男 杉田友宏)

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